| ・モデルの概要・ |
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1973年6月、ファビオ・タリオーニ技師は、モンジュイック・パークにおけるバルセロナ24時間レースに750SSの860ccバージョンを送り込んだ。
このレースは、前年のイモラ200マイル・レースほど格式は高くはなかったが、ドゥカティ社の未来を決定付ける非常に重要なレースであった。
このレースにおいて、サルバドール・セネラス及びベンジャミン・グラウの2人のライダーは、2位のブルタコに16ラップの差を付けて優勝するとともに、平均速度は71mphを記録した。
このレーサーは、初期の砂型クランク・ケースのラウンド・ケース・エンジン(エンジン番号は750404以前)をベースに乾式クラッチ化されるとともに、86mmのボアを持つ450ccシングル・モデル用のレーシング・ピストンが使用されていた。
翌年、タリオーニ技師はバルセロナに再度このレーサーを送り込んだが、セネラスとグラウは、16時間が経過した時点でギア・ボックスのトラブルのため、リタイアとなった。 同年、750S及びシングル全機種の製造が中止され、750GTは、よりグラン・ツーリスモ色の強い860GTに移行した。この年の前半には1つのシリーズとして750SS(ラウンド・ケース)が製造されたが、限定モデルの意味合いが強く、これを除いて ドゥカティ社のラインナップ中にスポーツ・モデルを欠くこととなり、前年の「860ccモデル」の市販化を期待していた世界中のドゥカティストを失望させることとなった。 しかし75年初頭、ドゥカティ社はイースター・バサーストで行われる「無制限」プロダクション・レースに出場するため(ライダーはケニー・ブレーク)、1台のラウンド・ケースのマシンをオーストラリアに送り込んだ。 ブレークはこのレースに圧勝したが、「このバイクは市販モデルではない」との抗議を受けることになる・・・しかしドゥカティ社は直ちに、このモデルが確かに「市販モデルである」と認証し、ブレークの優勝の名誉を回復した。 この背景には、「市販の860ccスポーツ・モデル」、即ち900SSの計画が進行していたことは明白であり、事実、この僅か数ヶ月後には900SSの市販が開始されている。 これら一連の860ccラウンド・ケース・モデルが、通称「860SS」と呼ばれるモデルである。 860SSは本質的にはファクトリー・レーサーであり、「モデル紹介」に上げるのは少々憚られるが、後の900SSに繋がるモデルとして、また「市販モデルである」と主張したファクトリーに敬意を表して掲載するものである。 |
| ・年式毎の特徴・ |
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・フレーム等 860SSは、本質的にスクエア・ケースの860ccモデルと同じボア・ストロークを持つ、1974年式750SSであった。 73年及び74年モデルは、おそらく同じ車両であると推測され、これは71年式750GTと同じ フレーム及びエンジン番号を持つ(即ち、72年のイモラ200マイル・レーサーと同じ成り立ちである)。 また、75年モデルは74年式750SSと同じフレーム及びエンジン番号を持っている。・エンジン等 実際には860SSはプロダクション・モデルではなく、注意深く見れば誰もが「ファクトリー・レーサー」であると理解できるものである。・電装等 外観から判断する限り、電装関係も74年式750SSと同じであると思われる。 アプリリア製「JOD」ヘッド・ライトとCEV製のスモール・テール・ランプが取り付けられているが、スーパー・スポーツの例に倣い、ターン・シグナルは取り付けられていない。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||